ドラえもんを読んでいて、疑問に思うことがあります。
のび太のママは
「ドラちゃん、のび太の勉強みてやってちょうだい」
と言いそうで言わない。
ママはのび太のテスト結果が悪いと激怒して長時間説教する。よく見る光景です。ほか、目の前でのび太を正座させて無言のまま顔芸だけで圧をかけ続けるという、地味につらそうな仕置きもありました。
話の流れとかがないので、残り時間がどれくらいか分からないという辛さでしょうか。
ママはのび太に勉強ができてほしいようですが、テストの間違いを一緒に直すとか、勉強を教えるような描写は一切見たことがありません。
息子と一緒に勉強するよりも茶の間でせんべいを食べながらテレビ鑑賞をする時間を優先する。にもかかわらず、自分の思うような成績をのび太が取ってこないと激高するクソみたいな母親、それが野比玉子です。
ママが出来ないのであれば、自分の代わりにのび太に勉強教えろとドラえもんに命令したら済む話です。彼ならそのくらい楽勝でやってくれそうです。でも、そうしないのはなぜか。
「ドラえもんの所有者はセワシであり、のび太のママではないから」という理由だと思います。
のび太への関わり方は、セワシの意向が反映されているのではないでしょうか。セワシがドラえもんを送り込んだ目的は、のび太が立派な大人になってしずかちゃんと結婚し社会的に成功することです。
そのために必要な支援は家庭教師をすることよりも、ひみつ道具でジャイアンに仕返しするほうが大事だという結論に至ったのかもしれません。いじめられてるとメンタル消耗しまくって自尊心が低下して勉強どころではなくなります。
なくなりますったらなくなります。
のび太が健やかに育つために必要な子守りを、セワシの指示のもとドラえもんは最良の方法で行っているのでしょう。エリクソンの発達課題を思い出しました。
もしかしたら、ドラえもんがのび太の元に来るのは初回じゃなく、n回目かもしれません。
初回派遣時のドラえもんが勉強を教えそれでのび太が勉強できるマンになったとしまして、まあとにかく成人後思うような結果が得られずセワシたちは「勉強じゃなかったか~。学童期の友達関係のほうが大事かな」とタイムマシンで何十年かまた戻ってトライアンドエラーしていたら…少し怖いというか切ない話になります。現実には、子育てにタラレバはありません。セワシもループ大変よ。
しかし、ドラえもんが未来に帰ったけどのび太は一人でジャイアンに勝った話(神回)が初期にあり、短期間の介入でものび太はかなりたくましく成長しました。読者全員確信していることですが、今回ののび太は大丈夫です。ドラえもんと思い切り遊ぶ方針でよさそうです。
ところで、もし自分の家にドラえもんが来たら?え、子孫悲惨なの?
私の育児が元凶と判断された?という疑問はさておき、自分の好きにしていいなら宝くじ当たったぐらい嬉しいですね。グルメテーブルかけで毎日ウエルカムパーティーです。誰にも渡しません。
でも日常を取り戻した際に、
「ヘイ、ドラえもん。なんか子供が賢くなる遊びして」とか頼んでしまうかも。
それから皿洗いや掃除も頼めるなら頼みたい。愚痴も聞いてほしい。
孤独なワンオペ育児に終止符だ。ドラえもんと共にあらんことを。
私のほうがズブズブに依存してドラえもんなしでは居られない体になる未来が見えます。彼がうちを出るなんて事態になったら、あの時ののび太と同じ顔でパニック起こして引き留めます。「ドラちゃんにも都合があるのよ」なんてママみたいに落ち着いて言える気がしない。
元々ママはドラえもんにはお使いぐらいしか頼んでなくてほとんどのび太と同じ扱いしていたから、堕落することはなかったんだった。
ごめん、やっぱママ偉いわ。真似できねえ。
おわり。